七十歳の朝は、ヤカンの音から始まります。
朝六時、湯を沸かす音
朝の六時、台所に立ち、ヤカンに水を入れて火にかけます。蓋がカタカタと鳴り出すまでの数分間、私は窓の外を眺めたり、急須を温める湯呑みを並べたりしながら、ぼんやりと立っています。
居間のほうから、妻の寝息が聞こえてきます。妻は私より三つ若く、それでも六十七になりました。朝はゆっくりです。
ヤカンの蓋が鳴り、しばらくしてシューと音が立ち上がる頃、私は火を止めて、急須に湯を注ぎます。一回目の湯は、急須を温めるためだけのもの。これを湯呑みに移して、湯呑みも温めます。
七十歳の朝は、ずいぶん静かなものだなあ、と思います。
教師時代の朝、急須を温める時間はなかった
中学校で国語を教えていた頃、朝はとにかく忙しいものでした。三十八年勤めましたが、最初の十年も、最後の十年も、朝の慌ただしさは大して変わらなかった気がします。
朝練の引率、職員会議、提出物の点検、テスト前なら採点の続き。出勤前の自宅では、コーヒーをマグに注ぎ、立ったまますすって、車に乗り込みました。インスタントコーヒーばかりでした。湯呑みなんて、棚の奥にしまったまま、何年も出した記憶がありません。
「余裕がない」というのは、若さの問題かと思っていました。年を取れば自然と余裕が出るのだろう、と。けれども違いました。「余裕がない」というのは、忙しさの問題だったのです。当たり前のような気もしますが、当時は気付けませんでした。
毎朝、急須を温める三十秒のために、一日の慌ただしさを差し引きできる人がいたら、その人はおそらく、もう人生の何かを掴んでいるのでしょう。
富川の十年、スティックコーヒーの朝
定年退職後の十年は、韓国の京畿道富川市(プチョンシ)で過ごしました。民間の語学院、つまり日本語学校に勤めて、現地の社会人や学生に日本語を教えていたのです。単身赴任でした。
韓国の朝の定番は、お茶ではありません。コーヒーです。それも、ドリップでもなければ、インスタントの瓶詰めでもない。一回分ずつ細いスティックに入った、砂糖とミルクがあらかじめ混ざった、甘いインスタントコーヒーです。
学校の職員室の隅には、このスティックコーヒーの箱が、いつも常備されていました。朝、出勤すると、まず誰かが「コーヒー、マシムニカ(飲みますか)」と声をかけてくれます。湯沸かしポットからカップに湯を注ぎ、スティックの先を指でちぎって、中身をさらさらと落とす。スティックの空袋を、そのままスプーン代わりにしてかき混ぜる。これが韓国流のコーヒーの淹れ方です。
最初は甘すぎて閉口しましたが、半年もすると、これでなければ朝が始まらないようになりました。十年、ずっとそうでした。
帰国するときに、スーツケースに何箱か詰めて持ち帰ろうかと、本気で迷いました。けれども、結局やめました。あれは韓国の朝の味で、日本の台所には合わない気がしたからです。
帰国後の朝、お茶を淹れる時間
2025年、十年勤めた語学院を辞して、名古屋に帰ってきました。完全帰国です。
帰ってきて一番驚いたのは、朝に時間があることでした。教師時代の慌ただしさも、富川のスティックコーヒーも、いまはありません。
家にあった急須は、漆黒の常滑焼。仕事中はずっとしまい込んでいたものです。湯呑みも引っ張り出しました。茶葉は、近所の茶舗で勧められた静岡の煎茶を、五十グラム小分けで買っています。
急須を温める。茶葉を量る。湯温を見る。注ぐ。蓋をして、待つ。湯呑みに注ぎ分ける。
一杯のお茶が出来上がるまで、おおよそ五分です。たった五分なのですが、この五分のために、私は六十年余り働いてきたような気もしてきます。大袈裟ですが、本気でそう思います。
「丁寧」とは、こういうことだったのか、といまさら気付きました。気付くのに七十年かかったのは、少し遅すぎる気もしますが、まあ、間に合ったということにしておきます。
身じまいで、軽くなる
帰国してから、私は少しずつ家の中を片づけ始めました。
押入れの段ボール。本棚にぎっしり詰まった文学全集。台所の使わなくなった鍋。タンスにしまったままの背広やネクタイ。何十年も触っていなかった、けれども捨てられなかった、たくさんのもの。
私はこれを「身じまい」と呼んでいます。終活、と言ってもいいのですが、どうも語感が硬い。身じまい、のほうが、まだ柔らかい気がして好きです。
譲れそうなものは、春と秋、年に二度開かれる名古屋アンティークマーケットへ、妻と二人で出店して持って行きます。東別院と西別院の境内を会場に、二日間で一万五千人ほどが集まる、東海地方では一番大きな蚤の市です。「三百年、時を越える大人の無駄使い」が公式のコンセプトで、江戸時代に尾張徳川家から古物・古鉄の専売権を授けられた橘町の伝統を、いまに引き継いでいるのだそうです。値札を付け、シートを広げ、お客さんと値段の話をする。あれは出てみると分かるのですが、商売というより、軽い遠足のようなものです。
フリマには出しにくい品──妻の嫁入り道具の食器や、私が韓国から持ち帰った焼き物、古い切手のコレクションなどは、近所の買取大吉さんに持ち込みます。プロが値を付けてくれるので、こちらは納得して手放せます。「これは思っていたより値が付きますよ」と言われた品もあれば、「これは値が付かないですね」と言われた品もある。どちらも、手放す踏ん切りになります。
そうやって、少しずつ、家のものが減ってきました。
不思議なものです。家のものが減ると、家がすっきりします。家がすっきりすると、なぜか心までもがすっきりしてくるのです。心が澄んでくると、ものを考えるときの頭の動きまで、いくらか鮮明になる気がする。朝のお茶の味も、片づける前と後では、明らかに違って感じられます。
これは年寄りの自惚れかもしれません。けれども、整えれば整えるほど、思考までもが少し若返るらしい、というのは私の実感です。あと十年、もしかすると十五年、いまの調子で生きられそうな気が、最近はしてきました。
七十歳から長生きできそうだ、と言うと、半分冗談に聞こえるでしょう。けれども、半分は本気です。
このサイトでは、そういう私の日々を、急がずに書き留めてまいります。一杯のお茶を淹れる、五分のような気持ちで、ゆっくりと。
どうぞよろしくお願いいたします。
