七十歳から始める、台所引き出しの片づけ

台所引き出しの片づけは、上から一段ずつ、中身を全部出して、捨てる・譲る・残すの三つに分けるのが基本です。譲るものは、フリマで売るか、近所の買取大吉さんに持ち込みます。一気にやらず、一日一段でも構いません。七十歳の私と妻も、二週間かけて、ゆっくりと片づけました。

まず一段、上から開けてみる

最初に申し上げておくと、台所の引き出しを全部いっぺんに開けてはいけません。

私もはじめは、勢いに任せて全部開けようとしました。妻に止められました。「あなた、それ、戻せなくなりますよ」と。たしかにその通りでした。

引き出しの片づけは、上から一段ずつ、進めるのが鉄則です。まず一番上の引き出しから、中身を全部、調理台の上に出します。一段だけです。これだけで、三十分は使います。

「全部出す」というのが、実はいちばん大事な工程です。引き出しに入ったままだと、何がいくつあるのか、分かりません。出してみて初めて、自分がどれだけのものを抱え込んでいたかが見えてきます。

私の家の一番上の引き出しからは、菜箸が七膳、玉杓子が四つ、計量スプーンが三組、出てきました。妻と二人暮らしで、これだけの数が必要かどうか。出してみるまで、まったく考えたこともなかったのです。

捨てる・譲る・残すの三つに分ける

中身を出したら、次は仕分けです。

仕分けの段取りは、まず床に大きなトレーを三つ並べます。トレーがなければ、新聞紙を三枚広げるだけでも構いません。それぞれに「捨てる」「譲る」「残す」と、付箋に書いて貼っておきます。文字にしておくと、迷いが少なくなります。

そして、調理台に出した中身を、一つずつ手に取って、三つのトレーに振り分けていきます。一品につき、三秒で決める。これくらいの速さで進めないと、いつまでも終わりません。

ただ、妻はどうしても「保留」のトレーを四つ目に作りたがりました。決められないものを、いったんそこに置く。仕方なく置きましたが、結果として、保留のトレーに入ったものは、半分以上が「譲る」へ移っていきました。一日経って見直すと、案外、踏ん切りがつくものです。三秒で決められない品は、自分の暮らしにとって、それほど大事ではないということなのかもしれません。

もう使わない道具を見分ける、三つの問い

仕分けの基準について、もう少し具体的に書きます。

私の場合、迷ったときは三つの問いを順に投げかけて、判断しました。順序立てて整理したくなるのは、おそらく国語教師を三十八年やった癖です。お許しください。

  1. 過去一年、一度でも使ったか
  2. 似たものが他にいくつあるか
  3. 譲り先・売り先のあてがあるか

一つ目の問いは、明快です。一年使わなかった道具は、来年も使わない確率が高い。これはほぼ間違いありません。

二つ目の問いは、「同種のもの」をどれだけ抱えているかを意識するための問いです。菜箸が七膳あったわが家の場合、二、三膳に絞るのが妥当でした。妻と二人なら、それで足ります。

三つ目の問いは、捨てる罪悪感を和らげるための問いです。フリマに持って行ける、買取大吉さんに見てもらえる──そういうあてがあれば、手放す決心がしやすくなります。「ゴミ袋へ直行」と「次の人の手に渡る」では、こちらの気持ちが、まるで違います。

三つとも「いいえ」なら、迷わず譲るか、捨てる。三つとも「はい」なら、残す。一つでも引っかかれば、よく考える。これだけのことで、引き出しの中身は、不思議と整理されていきました。

譲れるものは、フリマと買取大吉さんへ

「譲る」と決めたものは、二つの方法で手放します。一つは、年に二度(春と秋)に開かれる名古屋アンティークマーケットへの出店。もう一つは、近所の買取大吉さんへの持ち込みです。

二つの使い分けは、おおむねこんな具合です。

  • フリマ向き:日常使いの食器、調理小物、まとめて持って行きたい量のもの
  • 買取大吉さん向き:ブランド食器、骨董品、着物、カメラ、切手や古銭、貴金属、来歴のあるもの

具体的な話をします。

妻が嫁入り道具で持ってきた、ノリタケのコーヒーセットがありました。五十年ほど前のものです。一度も使われずに、食器棚の奥にしまわれたままでした。さすがにフリマで床に並べて売るには気が引けるので、ある日、妻と相談して買取大吉さんに持ち込みました。

店員さんは丁寧に箱を開け、カップを一つずつ手に取り、底のマークを確認していました。やがて、「思っていたより値が付きますよ」と言ってくださいました。具体的な金額は控えますが、五十年眠っていた品が、また誰かの食卓に出るのだと思うと、こちらまで嬉しくなりました。

別の日には、私が韓国から持ち帰った白磁の片口を持ち込みました。富川(プチョン)に住んでいた頃に、ソウルの仁寺洞(インサドン)で買ったものです。観光客向けの廉価品ですから、値はそこまでではありませんでした。ただ、若い店員さんが「これはどこで買われたんですか」と熱心に聞いてくださいました。仁寺洞の通りで、店主が片言の日本語で値段を教えてくれたこと、それを買って下宿の食器棚に飾っていたこと──そんな話を、しばらくしました。

譲るというのは、品物だけを渡すのではなく、その品物の来歴も一緒に渡すことなのだ、と、その日に気付きました。買取大吉さんは、来歴を聞いてくれる場所でもあります。

一方、フリマに持って行くのは、もっと日常的なものです。来客用の中皿が十枚あったうちの六枚、使わなくなった土鍋、型抜きクッキーの抜き型一式、そういったもの。東別院の境内にシートを広げて並べると、案外、若いお母さんが手に取って、買っていってくださいます。「これ、子どもが喜びそう」と笑顔で持ち帰ってくださる方を見送るのは、なかなかいい気分です。

どちらにせよ、譲り先があるというだけで、片づけは進みやすくなります。

残すものは「立てて入れる」

「残す」と決めたものは、引き出しに戻します。ただし、戻し方に少しだけ工夫があります。

それは、立てて入れる、ということです。

引き出しの中で、道具を重ねないこと。これが基本です。重ねると、下のものが見えません。下のものを取り出すために、上のものをいちいちどける必要があります。これが、毎日の小さなストレスになっているのです。

立てて入れると、上から見て、何がどこにあるか、一目で分かります。取り出す時、奥のものを引っぱり出す手間が消えます。

仕切りは、家にあるもので構いません。牛乳パックを切ったもの、空き箱、いただきものの菓子の缶。私の家では、煎餅の缶が大活躍しています。蓋つきで丈夫で、ちょうどよい高さです。

これは妻が言うには、富川にいた頃に韓国の市場で覚えてきた知恵だそうです。市場のおばさんたちは、店先で野菜や果物を立てて並べていた。倒れないように、新聞紙でくるくる巻いて、束ねて。あれを見ていて、引き出しに使えると思った、と。

知恵は、思いがけないところから来るものです。

二週間で、台所の朝が変わった

引き出し全部の片づけが終わるまで、私と妻で、合計二週間かかりました。一日一段、休みの日は休む。そんなのんびりした進め方です。

片づけが終わって、何が変わったか。

引き出しを開ける時間が、明らかに短くなりました。前は、何かを取り出すのに、三十秒、一分、と探していたものです。いまは、開けて、取って、閉める。それだけ。朝食の支度が、五分は短くなった気がします。たった五分ですが、五分早く、お茶の時間に入れる、と思えば、これは大きな違いです。

それから、引き出しを開けるたびに、気持ちが軽くなる。これが意外な発見でした。整理された引き出しを見ると、なんというか、自分が「ちゃんとしている人」になった気がするのです。年寄りの自惚れかもしれません。けれども、自惚れも、たまには悪くないものです。

あのノリタケのコーヒーセットも、白磁の片口も、いまは別のどなたかの家にあります。私の家からはなくなりましたが、捨てたわけではありません。譲ったのです。引き出しが軽くなった分、気持ちまで軽くなったのは、たぶんそのためでもあるのだろうと思います。

「整える」というのは、たぶんこういうことなのだろう、と、片づけが終わってから考えました。ものを減らすことが目的ではなく、気持ちを軽くすることが目的なのだと。減らした結果、軽くなる。譲った結果、また誰かの食卓で使われる。それで十分なのです。

このサイトでは、こういう小さな片づけの記録を、これからも書いていくつもりです。本棚、押入れ、タンス、玄関──まだまだ、片づける場所は残っています。一段ずつ、ゆっくりと。