名古屋にアジアパラ大会がやって来た秋──テレビの前で、富川の教え子を思う

夕食のあと、居間のテレビに、ボッチャの白い球が映っていました。

秋の名古屋に、二つの大会

この秋の名古屋は、大きな大会が二つ続いています。九月十九日から十月四日までは、愛知・名古屋で第二十回アジア競技大会が開かれていました。そして十月十八日からは、愛知・名古屋2026アジアパラ競技大会が始まっています。

アジアパラ競技大会の会期は、十月二十四日までの七日間です。十八の競技が行われ、四十五の国と地域が参加すると、日本パラリンピック委員会の大会概要に書かれています(二〇二六年十月二十一日、日本パラリンピック委員会「大会概要」で確認)。

地元の大会とはいえ、正直に申し上げると、私は始まるまで、それほど気に留めていませんでした。新聞で日程を見かけても、「ああ、もうそんな時期か」と思う程度です。

それが変わったのは、夕食のあとにテレビで中継を見るようになってからでした。

夕食後のテレビ、ボッチャの一投

最初にじっくり見たのは、ボッチャでした。白い目標球に向かって、赤と青の球を投げたり転がしたりして、どれだけ近くに寄せられるかを競う競技です。会場は名古屋市総合体育館のレインボーホールだと、画面の案内で知りました。

見ていて驚いたのは、一投の前の静けさです。選手は球を手にしたまま、しばらく動きません。コートの上の球の並びを、じっと見ている。それから、すっと手を離す。球は転がって、相手の球をそっと押しのけ、目標球のすぐそばで止まりました。

隣で湯呑みを持っていた妻が、「これ、カーリングに似ているわね」と言いました。たしかに、似ています。ただ、私には別のものにも見えました。作文の推敲です。

一文をどこに置くか。前に置けば話が早く、後ろに置けば余韻が残る。三十八年、生徒の作文に赤を入れながら、私はいつも、言葉の置き場所のことを考えていました。ボッチャの選手が球の置き場所を考える姿は、あのときの机の上の時間を思い出させてくれました。

結局その夜は、予定していたより一時間も長く、テレビの前に座っていました。

韓国の選手を、つい目で追ってしまう

中継を見ていると、どうしても、韓国の選手を目で追ってしまいます。定年後の十年を、韓国・京畿道富川市(プチョンシ)の語学院で、日本語の講師として過ごしたからです。教えていたのは、現地の社会人や学生の皆さんでした。

富川の教室で、こんな質問を受けたことがあります。

「先生、『ファイティン』は、日本語で何と言いますか」

韓国では、人を励ますときに「화이팅(ファイティン)」と声をかけます。英語の「ファイティング」から来た言葉で、試験の前にも、試合の前にも、仕事の前にも使います。日本語なら「がんばって」でしょう、と答えかけて、私は少し迷いました。

「がんばれ」と「がんばって」と「がんばりましょう」では、相手との距離が違います。「がんばれ」は応援席から届く声、「がんばって」は隣に立つ人の声、「がんばりましょう」は一緒に走る人の声です。その日は、黒板に三つを並べて、どれを誰に使うかを一時間かけて話しました。教室は、いつになく賑やかでした。

テレビの前で韓国の選手が映ると、私は心の中で「화이팅」と言い、日本の選手が映ると「がんばれ」と言っています。どちらを応援してもいい。七十年生きて、そういう見方ができるようになったのは、あの十年のおかげかもしれません。

迎える側になった名古屋

この秋は、街なかでも、大会の案内をよく見かけるようになりました。外国から来た選手や関係の方々を、名古屋が迎えているのだと思うと、少し不思議な気持ちになります。

富川にいた十年、私は迎えられる側でした。言葉の分からない市場で、店の方が身振りで値段を教えてくれたこと。下宿の大家さんが、正月に料理を分けてくださったこと。外国で暮らす者にとって、そうした小さな親切が、どれほど心強いものだったか。

いま、名古屋の街のどこかで、同じように心細い思いをしている人がいるかもしれません。私にできることは多くありませんが、道を尋ねられたら、ゆっくりした日本語で答えようと思っています。語学院で十年、相手に届く速さで話す練習をしてきたのですから。

七十歳の観戦の作法

大会を見るようになって、自分なりの決まりが三つできました。

  1. テレビは夕食後の一時間だけにする
  2. 見逃した競技は、翌朝の新聞で結果だけ確かめる
  3. 全部の競技を見ようとしない。今日は一つ、と決める

三つ目は、片づけと同じです。台所の引き出しも、一日一段と決めてしまえば、無理なく進みました。大会の中継も、一日一つと決めれば、疲れずに楽しめます。七十歳の観戦は、欲張らないのがいちばんです。

アジアパラ競技大会は、十月二十四日まで続きます。今夜は何を見ようかと、新聞のテレビ欄を眺めるのが、この一週間の小さな楽しみになりました。

富川で覚えた言葉のことは、noteの富川の市場で覚えた「덤(トム)」という言葉にも書いています。あわせてお読みいただければ幸いです。