「先生、それは韓国語と同じです」──富川の教室で、いちばんよく聞いた言葉です。
連載「日本語と韓国語のあいだ」第一回。富川の語学院で十年、日本語を教えながら気づいたことを、帰国してから本や資料で一つずつ確かめていく記録です。
単語を置き換えるだけで、文になる
日本語と韓国語は、文の組み立てがよく似ています。単語を一つずつ置き換えていくと、ほとんどそのまま文になります。
語学院で日本語を教え始めたころ、最初に驚いたのがこのことでした。黒板に「私は学校に行きます」と書くと、前の席の学生さんが、ノートにすらすらと韓国語を書き添えます。
私は 学校に 行きます
저는 학교에 갑니다(チョヌン ハッキョエ カムニダ)
「私」が「저(チョ)」、「は」が「는(ヌン)」、「学校」が「학교(ハッキョ)」、「に」が「에(エ)」。動詞は最後に来ます。並べ方が、そっくり同じなのです。
英語であれば、主語のすぐ後に動詞を置き、行き先はその後ろに回します。中学で三十八年、国語を教えてきた私は、日本語の語順を「当たり前」だと思っていました。ところが、その当たり前を、隣の国の言葉もそのまま持っていたのです。
片言の韓国語で気づいた、同じ「並び方」
富川に着いたばかりの私の韓国語は、片言でした。市場で果物を買っても、「多いです」と言うのがやっとです。
それでも暮らしていくうちに、耳が少しずつ慣れてきました。不思議なことに、知らない単語が混じっていても、文のどこで区切れるかは分かるのです。名詞の後ろに小さな言葉が付き、最後に動詞が来る。日本語と同じ並び方をしているので、聞き取れた単語を日本語の順にはめていけば、だいたいの意味がつかめました。
市場のおばあさんに「덤이야(トミヤ)」と言われたときも、そうでした。「덤(トム)」が「おまけ」だと分かれば、あとは日本語の「〜だよ」と同じ場所にある言葉だと、見当がつきます。この日のことは、noteの富川の市場で覚えた「덤(トム)」という言葉に書きました。
教える側でありながら、私自身が、日本語の仕組みを韓国語に照らして学び直していたのだと思います。
似ているのは、語順だけではない
似ているのは、語順だけではありません。教室で何度も「同じです」と言われたものを挙げると、次のようになります。
- 助詞:「は」「が」「を」「に」にあたる小さな言葉が、名詞の後ろに付く
- 敬語:目上の人の動作に付ける形があり、丁寧さの段階がある
- 漢字から来た言葉:「約束」は「약속(ヤクソク)」、「準備」は「준비(チュンビ)」、「無理」は「무리(ムリ)」と、音まで近い
- 修飾の順番:「昨日買った本」のように、説明する言葉が名詞の前に来る
なかでも学生さんたちが喜んだのは、漢字から来た言葉でした。韓国では、ふだんの文章にはほとんど漢字を使いません。それでも、ハングルで書かれた言葉の多くは、もとをたどると漢字です。「図書館」を「도서관(トソグァン)」と読むと知った学生さんが、「先生、日本語の単語は半分くらい、もう知っています」と笑ったことがありました。
もちろん、韓国語を話す人にとって、日本語が「やさしい」言葉だというわけではありません。漢字の読み方は覚えることが多く、敬語の使い方には、似ているからこそ迷うところもあります。そのあたりも、この連載で書いていくつもりです。
富川で言われた、二つのこと
十年のあいだに、言葉について、忘れられない話を二つ聞きました。
一つは、「九州の言葉は、韓国語によく似ている」という話です。釜山から九州までは海をはさんですぐの距離で、昔から人や物が行き来してきました。その名残が方言に残っているのではないか、という話でした。
もう一つは、韓国の知人に言われた言葉です。「北の言葉は、日本語にもっと似ているそうですよ」。朝鮮半島の北で話されている言葉には、古い形が多く残っているから、という理由でした。
名古屋で生まれ育った私には、どちらも確かめようのない話でした。ただ、もし本当なら、九州の方言も北の言葉も、昔の言葉の姿をとどめているということになります。言葉の端のほうに古い形が残るという考え方は、国語の授業でも扱ったことがあり、気になっていました。
気づいたことを、調べて確かめる
帰国してからは、片づけの合間に、図書館で言葉の本を借りてくるようになりました。教室で感じた「似ている」は、どこまでが確かなことで、どこからが言い伝えなのか。それを確かめてみたくなったのです。
この連載では、次のような順で書いていくつもりです。
- 助詞を並べてみる
- 敬語の仕組みを比べる
- 漢字から来た言葉を比べる
- 日本語と韓国語は親戚なのか、学説を調べる
- 九州の方言、対馬、半島の古い地名、北の言葉、アクセントのことを調べる
書くときには、本や資料で確かめられたことと、まだ仮説にとどまっていることを分けて書きます。言葉の起源の話は、面白いぶん、言い切りたくなるものです。けれども、教壇で三十八年、生徒の作文の「なぜそう言えるのか」に赤を入れてきた身としては、自分の文章にも同じ赤を入れなければなりません。
韓国で日本語を学ぶ人は、いまも少なくありません。国際交流基金の調査では、二〇二一年度に韓国で日本語を学んでいた人は四十七万人あまりでした(二〇二六年十一月五日、国際交流基金「日本語教育 国・地域別情報 韓国」で確認)。あの教室の学生さんたちのように、「同じです」と驚きながら学んでいる人が、今日もどこかにいるのでしょう。
次回は、助詞を一つずつ並べてみます。
